働きながら学ぶ - 修業学習と職業陶冶

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スイス (フランス語圏) の職業陶冶

更新日: 2019/03/31

西之園晴夫(NPO学習開発研究所) 
2019 年 3 月 31 日作成 

(1) はじめに 

フランスの高等教育を紹介するにあたっては、修業学習(apprentissage)の枠組みで紹介しましたが、スイスの場合には陶冶(formation)が適当であろうと考えました。Formationは仏和辞典ロベールで調べると「➀形成、生成、成立、結成、➁養成、育成、教育、訓練」となっていますが、生涯学習を視野にいれると熟練成人の場合に②の日本語では不十分です。スイスではフランス語、ドイツ語、イタリア語、ロマンシュ語の4か国語が使われていますが、formationに対応する意味としてドイツ語のbildungが使用されています。そこで和仏辞典で陶冶を調べてみるとformationが出てきますが、「人格を陶冶する」という文脈で使用されているので陶冶が適切であろうと判断しました。念のために国語辞典で調べてみると陶冶には「人間の持って生まれた性質を円満完全に発達させる。人材を薫陶養成すること」(広辞苑)や「生まれついた性質や才能を鍛え上げること」(大辞林)という意味があります。スイスでは、職業陶冶は一般陶冶と並行して14歳から始まり成人に至るまでの生涯学習の系譜となっています。将来の自分の生活設計からみて、「社会の中に自分の居場所を見つけて、生涯にわたって学び続けられ職業陶冶の能力を習得して、社会の変化に柔軟に対応していく」ことを目指しているともいえますので、生活設計が明確で優秀な生徒ほど職業陶冶の道を選ぶような社会制度になりつつあります。 

(2) スイスの教育制度の概観 

  図1はスイスの教育制度の概観を示しています。マチュリテはフランスのバッカロレアに相当する高等教育進学資格で、これを取得すればヨーロッパ高等教育圏EHEAに属する高等教育機構に志望することができます。さまざまな高等教育機構(大学はその一部)においてヨーロッパ単位互換制度ECTSで表示された必要な単位を取得することができます。このような構想が生まれた背景には、イタリアの北西部にあるボローニャ大学(通説として1088年に創設された実学大学)が1988年に大学創設900周年記念式典を挙行されましたが、その時に集まったヨーロッパ各国の大学学長や教育関係者が21世紀の高等教育について話し合ったことが契機となっています。10年間の討議を重ねて1999年にボローニャ宣言が発表されました。その後、欧州高等教育圏EHEA(European Higher Education Area)という概念が生まれ、さまざまな高等教育のネットワークを形成して、学生、教職員、研究者が自由に交流できるようにすることが構想されました。具体的な措置として欧州単位互換制度ECTS(European Credit Transfer System)が実現しています。このような背景のもとにスイスの教育改革が進められていることを理解しておく必要があるでしょう。この概念からは職業教育のさまざまな高等教育機関を含めていて、大学に限っていないことが特徴です。それは大学以外の高等教育機関の地位向上を目指しているからで、そのためにフランスはバッカロレア取得後にどれだけ学習したかを表わすために、Bac+3(学士)とかBac+5(修士)のように表記しています。スイスではフランス語、ドイツ語、イタリア語の表記であったものを英語のBachelor(学士)とかMaster(修士)の称号を使用して国際性を保証しました。これによって欧州高等教育圏で人材の移動が自由になりました。しかし、高等職業陶冶(Formation Professionelle Supérieure)のところはまだディプロムや連邦ブルベが残っていますが、これらもいずれは学士や修士になるでしょう。従来の大学は大学高等教育機構(Hautes écoles universitaires)として高等教育の一翼を担うものであり、博士号を授与する権限をもつ高等教育機構です。

(3) 高等教育機構の制度 

a. 高等教育機構HEUとHES 
 スイスの教育制度を理解するためには、高等教育から始めた方がよいでしょう。その改革が実質的に始まったのは21世紀に入ってからですが、図2は高等教育機構のうちの大学高等教育機構HEUと専門高等教育機構HESの学位別学生数の推移を2010年以降について示したものです。それぞれの学生数の推移については後でさらに詳細に検討しますが、HEUとHESの2017年までの実測値と2018年以降の推測値を示しています。これからも明らかなように2010年以降に専門高等教育機構HESの学士の伸び率が高くなっており、さらにこのルートに修士への道を開いたことは重要な意味をもちます。この教育機構はわが国の高等専門学校に匹敵するものであり、このような教育系譜に属している人々に学士号と修士号への道を拡大してきたことは注目されます。またHESのディプロムは2012年以降に消滅しています。このHESは企業内での職場研修を重視しているコースであって、このようなコースに進学しやすい社会階層の人々への配慮であることは留意しておく必要があるでしょう。当面の課題はこの専門高等教育機構のコースを整備することであって、これは教育関係者と企業を始めとして社会全体が取り組まなければならない課題です。
b. 大学高等教育機構(Hautes Écoles Universitaires) 
 従来の大学は高等教育機構の中心的な役割を果たしていますが、この大学高等教育機構HEUは博士課程までを有する大学のネットワークです。スイスもすべての高等教育機構は授業料が無償であり単位互換制度が整っているので、自分が選択する専門職に見合ったカリキュラムの選択を計画することができます。

 スイスの大学高等教育機構HEUに所属している学生の分野別の割合は図4のようになっています。その分野は当然のことながら、従来の大学が実施してきた教育内容を反映しています。
 
  
c. 専門高等教育機構(Hautes Écoles Spécialisés) 
 専門高等教育機構HESは21世紀になってから本格的に整備され始めた高等教育機構です。高等教育については1964年の国連決議で無償化が提起され、1974年には国際労働機関ILOで有給教育休暇の条約があり、1985年にはユネスコの学習権宣言などが続きました。そして1999年のボローニァ宣言に続いて欧州高等教育圏EHEAとボローニャ・プロセスによる欧州単位互換制度ECTSによって高等教育の整備が進められました。このときにもっとも精力を傾注し、改革が進められたのがこの専門高等教育機構HESであり、わが国では高等専門学校に相当する分野の教育です。この状況を物語っているのが図5の学生数の推移です。習得する称号が20世紀ではディプロムであったものが21世紀には学士号に切り替えられました。従来の大学と同一の称号になったのです。

 その専門分野も図6に示すように20世紀後半から21世紀にかけて産業界から人材育成が要請された技術者の育成であり、ヨーロッパでは無償の高等教育を実現する上で欠かせない教育機関です。この点でわが国とヨーロッパとの政策に大きな違いがみられました。なお、欧州高等教育圏には現在48か国が参加しているので、ここに示しているスイスモデルは今後の高等教育の在り方として十分に注視する必要があるでしょう。
  
d. 教育学高等教育機構(Hautes Écoles Pédagogiques)
1970-80年代の中等教育の改革、1990年代からの高等教育の改革に呼応して、教育の哲学も内容も方法も情報社会の進展にともなう変革が望まれています。図7に示されているように21世紀になって最初の10年余りの間に教員養成に大きな変革があったことがうかがえます。教員採用の状況はわが国とは大きく異なるので直ちに比較はできませんが、従来の師範学校(École normale)では幼児教育や小学校の教員を養成していましたが、そのレベルはわが国の高校あるいは短大レベルに相当したものであったのが、図1の教育制度に示されているように高等教育段階に位置づけられています。図7の2006年前後に中等教育段階Ⅰ(わが国の中学校に相当)の学生数が急増している理由はまだ明らかになっていません。注目されるのは中等教育段階Ⅱ(わが国の中学校に相当)の一般陶冶分野の学生数に対して職業陶冶分野の学生が多いことです。一般陶冶分野では2001年から2013年にかけて急増しているのに対して職業陶冶分野では2005年から2015年にかけて急増しており、しかも一般陶冶分野が1,500名前後であるのに対して職業陶冶分野が1,000名前後とわが国と比較してその割合が高いことが注目されます。
 

(4) 中等教育段階Ⅱの制度と生徒 

 ヨーロッパの教育改革は、高等教育の側から見た方が理解しやすいですが、その改革の影響を受けて中等教育もまた大きく変わりつつあります。そのことは図7の中等教育の教師を目指す教育学高等教育機構HEPの学生数の変化にもみられます。2001年から2010年の10年間に中等教育で何が起こったのかは今後の研究課題ですが、2017年における時点での統計データを見ながら中等教育段階Ⅱの高等教育進学資格であるマチュリテ取得の状況と分野別の学生数を見てみます。
 図8の中等教育段階Ⅱの生徒数を見ても伝統高校(Gymnase、フランスのリセに相当)でのマチュリテ取得者に対して職業マチュリテや専門マチュリテの取得者数が増加していることは、高等教育の改革が中等教育の改革にも健全に反映されているとみてよいでしょう。

 このような変化は教育学高等教育機構HEPの学生数の変化にも反映したものと考えられます。教員養成での教育学高等教育機構HEPの一般陶冶の学生数に対して職業陶冶の学生数が増加したことにも見られましたが、2017年における中等教育段階Ⅱの生徒数の分野別の割合は図9のようになっています。 

(5) おわりに 

2000年以降、国民1人当たりの労働生産性の国際比較では参加国36か国中でスイスが8―9位であるのに対してわが国は20位で低迷しています。わが国は経済発展の過程で大学教育を拡充してきましたが、普通教育を重視して職業教育を軽視してきた結果、普通高校偏重の教育になりました。このような状況が生まれたのは、教育行政関係者、企業関係者、特に大学関係者の責任であると言わざるを得ません。 
しかしここで責任問題を論じていても問題の解決にはなりません。建設的な解決策を論じるためには、現在ヨーロッパで進行している無償の高等教育の実現、ボローニャ・プロセス、欧州高等教育圏ならびに欧州単位互換制度などの理念を理解する必要があるでしょう。欧州高等教育圏の組織(www.ehea.info)の冒頭の文章を紹介して終わりとします。 
「欧州高等教育圏(EHEA)は、高等教育にたいするユニークな国際的協力と、異なる政治的、文化的、学術的伝統をもつ48か国の政治的意向の成果であり、過去20年にわたって一歩一歩着実に共通する一連の献身的参加を実施してきた領域です。これら48か国は、共通の主要な価値、すなわち表現の自由、諸機関の自律性、自立した学生組合、学術の自由、学生と職員の自由な移動などの価値に基づいて、高等教育の改革に同意し採用することに賛同している。この過程を通じて、ヨーロッパ地域の諸国、諸機関並びに利害関係者は、高等教育制度を更に共存共栄し、質保証機構を強化する制度として継続的に適応してきている。これらすべての国にとって、主要な目標は職員と学生の移動可能性を高め、雇用可能性を増すことである。このEHEAの公式サイトは、プロセスについての全般的な情報と専門家に詳細な情報を提供することである。」 

 


※図1以外はすべて Graphiques de la publication 1324-1800 "Scénarios 2018-2027 pour le système de formation"から作成