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おわりに

更新日: 2023/09/18

おわりに

 

 生涯の最後に見たものは、1人の人間の野望と妄想が20世紀の科学技術の成果を悪用すると、全世界の社会と経済に言葉で尽くせない混乱をもたらし、囚人が善良な市民を虐殺するという歴史の1ページでした。私が初めてヨーロッパを訪れてから56年間の研究生活で見てきたものを思い出しながら、2030年頃には少しは実現しているであろうと考えて描いたのがこのシナリオです。このシナリオに何人の人が賛同して頂けるかは不明です。50人、100人あるいは楽観的に1,000人の人が参加してくだされば、わが国の将来に向けて現状を変革する力になるので私の研究は無駄ではなかったと言えるでしょう。あくまでもパイロット・モデルであり、主観的な観察と私的な会話を綴りながら描いた2030年を目指したシナリオです。

 なぜ2030年なのか。それはOECD本部でnon-formal educationを担当していたPatrick Welkin専門官を2010年に京都に招いて小規模な会合をもったときに、私が「日本で学習者中心の教育に転換するのはいつだろうか?」と問いかけたのに対して、彼は「日本人はsmartだから2020年頃だろう?」と応じました。私は「日本社会の特質から2030年頃だろう」と答えていたためです。しかしその予測もコロナ禍によって、もう少し早まりそうです。

 教育研究の世界においてもエビデンスによる論理の展開が求められていますが、今の教育課題の解決策がエビデンスから生まれてくるとは考えられません。私が関心をもっていたものは、むしろ目には見えないものであり、現象学のエトムント・フッサールのいう「地平」に示唆された研究でした。人はどのようなメッセージや理念によって行動を起こすのかということです。現在の教育問題は複雑であり流動的です。しかし人々はそれぞれの背景と期待で行動しています。ある国際集会の立ち話で、「ヨーロッパ社会は自然に放置すると貧富の格差が増大する社会なので、いつも何らかの努力が必要です。」という話題が印象的でした。日本もそのような貧富の差はなくならない社会なのでしょう。

 ウクレレ・プロジェクトはメッセージをもっています。Jake Shimabukuroのメッセージは「Peace, Love and Ukulele」です。全英ウクレレ・オーケストラが、上流社会の宮廷音楽を楽しむ王室アルバート・ホールで庶民楽器ウクレレによる合奏をしましたし、タヒチのウクレレ・フェスティバルではあらゆる特性をもつ参加者が、個性溢れる楽器を持ち寄って集団合奏をしました。この2つの演奏スタイルは文化の違いを表わしています。またその情景は従来の既成概念に強固に束縛されている教育の現状を改革するきっかけになりうると考えます。事実、ウクレレの普及はYouTubeによってもたらされたものですが、その普及の過程において、お互いに学ぶ多くの人々がYouTubeに参加することによって発展しています。小規模な活動が大きな活動に融合することを助けるソフトウェアも開発されています(たとえば patreon.comなど)。このようにYouTubeやその他のソフトウェアは、草の根活動に参加している多くの人びとを動かして社会を改変しうる可能性を秘めています。これからは少数のエリートに導かれる社会ではないでしょう。

 ウクレレ奏者の鈴木智貴さんも系統的な学習材「やさしいウクレレ教室」や多数の短編Videoを無料で提供しています。マドリッドのPierre Babon (フランスのボルドー生まれ)とその妻のNoemi(父親が日本人で母親がスペイン人の東京生まれ)は数多くのフランス語の短編Videoの学習材を無償(パッケージは低額)で提供しています。高等教育の費用負担を低くすることは、わが国の多くの家庭が望んでいることですが、その解決が現行の大学によってなされることは期待できません。しかし、それに向かって世界の教育界でさまざまな試みがなされ、問題解決にどの国も苦闘していています。わが国の高等教育の問題は経済的負担が大きいことですが、その負担を軽減する試みの失敗例はその難しさを物語っていますが、人工知能の進歩によって研究の国際交流はますます活発になっています。

 近年、イギリスが日本にエリート教育を輸出しようとしていることが話題になっています。ブレア元首相(1997-2007)は演説の最後に「Education, Education, Education」と連呼していました。そのころイギリス政府は高等教育を輸出産業とみなすと表明していたので、その輸出先に日本を選んだようです。イギリスの植民地であったマレーシャとスリランカでインド人とイギリス人の3名のチームでそれぞれ5週間滞在していたときに、植民地時代の統治の形態を教育の面からその内部構造を知る機会がありました。イギリスは植民地の優秀な人材をイギリス本国に送りエリート教育を受ける機会を与え、帰国すると統治のための特権階級を形成しました。

 私は教育工学研究の草創期に学会の設立などに参加しましたが、その時の同志の多くが彼岸に旅立っています。研究者として多くの学会の人々の厚情に支えられましたし、ヨーロッパやカナダでの訪問先、研究集会やユネスコ事業で知り合った人々とは忘れられない思い出があります。また研究の最終期に転機をもたらしたウクレレの世界を紹介して頂いた知人には大変感謝しています。そしてなによりもNPO学習開発研究所の理事や会員(所員)の方には私の勝手な思い入れの研究に付き合って頂きました。このように振り返ってみると多くの方々にお世話になっていますが、これはまさしく日本語の「お蔭様で」という表現がピッタリです。個人名を挙げることを避けましたが、数えきれないほどの人びとにお礼を申しあげたいと思います。

 イギリスの哲学者フランシス・ベーコンは「知は力なり」との有名な言葉を残しましたが、私はこの言葉の普遍性はマンハッタン計画での1945年7月16日の核実験の成功で終わったと解釈しています。「されどその知は人の情感を伴っていない」と付け加えたいと思います。

 そして最後になりましたが、妻美恵子の献身的な支援と家族の温かい理解がこのような生涯にわたる活動を可能にしました。美恵子は2011年に認知症を発症していることが検査で明らかになり、その重症化していく過程で要介護レベル3に進んだので、24時間介護のサポートセンターに居を移しました。その年に写した写真を添えておきます。

  認知症要介護レベル3まで進行した美恵子の脳には学校で習った知識はことごとく脱落し、残っていたのは「有難う、きれい、うれしい、かわいい」といった感情をあらわす言葉でした。これが人間のもっとも根源的な感情で、幸せを感じる言葉なのかも知れません。この当時の笑顔は大変スッキリとしていて、人の幸せは知性ではないことを語っています。いまはレベル5まで進んで全く言葉はありません。
 

西之園晴夫(1935年生まれ, nishinosono.haruo@gmail.com)