働くことを学ぶ - 修業学習と職業陶冶

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8. 職業専門陶冶(VPET)に込める願い

更新日: 2023/09/18

8. 職業専門陶冶(VPET)に込める願い

 

8.1 私が生きた日本社会

 私が生きた日本社会は、第二次世界大戦の前夜からとその終結の時期に始まっています。物資の乏しい社会で空腹は当たり前の毎日から、バブル期とも呼ばれている急速な経済の発展と狂乱の社会へと転換し、毎日が昨日よりも経済的に豊かになる時代でした。教育もまた拡大し充実していく時期でした。これは世界的にも比類を見ない進展でした。

 ヨーロッパ諸国では大航海時代を経て植民地経営によって巨万の富を集積し、国内ではさまざまな格差を前提とした社会構造が確立し、その安定のために教育が寄与していた時期を社会として経験しています。21世紀に入る前までは、その社会の格差は一向に縮小せず、教育がそれを恒常化していることを現地で見聞する機会を経験してきました。そのヨーロッパ諸国も21世紀に入ってその構造を高等教育の分野で改革する動きが活発になってきています。ここでもヨーロッパ大陸とイギリスとでは違いがみられますが。

 21世紀に入ってから私が経験したことは、日本の教育界の実態として、経済格差、文化格差、地域格差が拡大していることを直視し、解決するための施策を研究することが遅れていることです。わが国の高等教育は大学を中心に展開され、そこに至る小学校から高校に至るまでその準備に追われていて、その大学は大都市に集中しています。

 図8-1は文部科学省の統計と都道府県市町村データランキングから作成しましたが、大学学部学生数の人数の割合が多い順での10位までの都道府県別をみたものです。これによりますと東京都が全国の25.8%で4分の1を占めています。そして11位以下の府県が同じくほぼ4分の1を占めていますから、2位から10位までの都道府県で学部学生の2分の1が学んでいることになります。すなわち、1位から10位までの府県で学部学生の4分の3が学習していることになります。一方、都道府県の人口の割合では東京の人口比は全国の11.2%です。合計特殊出生率の2022年の全国平均は1.26ですが、全国人口の11.2%を占める東京が1.04と最も低い割合です。これらの数字からみても今後もますます東京一極集中と少子化が続くことが予想されます。

図8-1 都道府県別の学部学生数割合(10位迄)と人口割合
(出所:学校基本調査と都道府県市町村データランキング, 2022)

 

 平成25(2013)年版の「厚生労働白書―人口減少社会を考えるー」では「理想の子ども数を持たない理由」として経済的理由が挙げられており、そのなかで「子育てや教育にお金がかかりすぎるから」が他の理由に抜きん出て多くなっています。その部分の数値を引用しますと表8-1のようになっていて、とくに育児最適期にある30代未満、30代の割合が大きいのは深刻な問題です。

表8-1 理想の子ども数を持たない理由(複数回答)
妻の年齢 30歳未満 30~34歳 35~39歳 40~49歳 合計
子育てや教育にお金がかかりすぎるから 83.3% 76.0% 69.0% 50.3% 60.4%

 このように大学学部生は大都市のある府県に集中する傾向があり、教育費は高額で理想の子どもの数だけ持てない家庭が増加していることがうかがえます。このような少子化の状況についての海外との比較はすでに多く報道されていますから繰り返しませんが、教育が異常であるということはできます。

8.2 自分の夢を実現する職業専門陶冶

 英語圏とフランス語圏の国に長期滞在し、短期の調査や国際集会へ参加したりなどの機会で感じたことは、日本と海外で働くことへの考え方の違いです。私の働き盛りの時期は経済がもっとも成長していた時期でした。超過勤務は当たり前で、勤務後に先輩や同輩と飲みにいくことがしばしばありましたし、職場でも先輩にいろいろと相談することが多い雰囲気でした。こうした働き方は現在の日本では受け入れられないことを十分に承知した上で、それでもこのプロジェクトの目的である「一次産業、職人、中小企業」の職場においての働くことの意味を探ることは重要です。

 このような職種での仕事は、独り、あるいは家族のみ、あるいはごく少人数による作業ということが多いです。使用者と労働者という契約関係が成立しないこともしばしばあります。対話するのは自分と他人ではなく、自分と気象や海象、田畑の土壌と局地的天候、限られた空間の作業場での材料と作品など、一般の共同生活の環境からは切り離された労働環境での自然や作品などとの対話であることも少なくありません。そのような場合に宗教の果たす役割は大きいと考えられます。事実、いまでも漁業、農業、林業などでは仕事の始まりにはお祈りをしますし、家には必ずといってよいほど神棚があります。機会あるごとに村の神社で神事が行われてきました。しかし、その文化が失われつつあります。

 そこで批判を受けることは覚悟でかなり単純化した形で、わが国の職業専門陶冶と他の国の職業教育をつぎのような表をまとめてみました。このような背景の中で仕事に習熟していくときの学び、すなわち職業専門陶冶のヒントがあるのかも知れません。それは学校教育や大学教育では扱えない課題で、地域社会のもつ教育力でしょう。

表8-2 一次産業と職人と中小企業での仕事と宗教
  神との関係 組織 清め 感謝の表明 成果
職業専門陶冶
(VPET)
自然神 祈りと祭り 神社 塩、酒、米、お祓い お供え、寄進 豊漁、豊作、成功祈願、安全祈願
formation p.ch Berufsbildung.de
VET.gb
キリストの主(しゅ) 祈りと感謝 教会 聖水、お香 寄進、奉仕 主の愛の実現 愛の労働、愛の作品
職業専門陶冶 = VPET(Vocational and Professional Education and Training日本)
formation p.ch = formation professionnelle.ch(スイス)
Berufsbildung.de(ドイツ)
VET.gb = Vocational Education and Training.gb(英国)

 キリスト教では主の愛を実現することが仕事であり作品であり、それは「愛の労働」あるいは「愛の作品」と呼ばれていて、主の僕(しもべ)として仕えることです。一方、日本の自然神への祈りは人々の夢や期待を実現するために神の加護を願うことが目的であるといっても良いでしょう。豊作、豊漁、合格祈願、工事安全祈願、交通安全祈願などでは、宮司が祭礼を執り行い、われわれはそれに列席して祈ります。勝負でも勝つことだけを願うのではなく、観客を楽しませること、自分の理想とするイメージを実現することを祈願することもあります。その願いは、神に問う必要はなく自分で決めて努力して、ご利益を期待することができますから、難解な教義を必要とすることはなく、庶民の日常生活に埋め込まれた祈願です。顧客を楽しませたい、感謝されたい、記録を伸ばしたい、優れた作品を創作したい、安全に作業をしたいなどですが、このような願いは大学合格だけでなくさまざまな仕事にも込められるようになれば、そこに職業専門陶冶の動機があるといってもよいでしょう。大学受験がし烈になり、受験勉強に熱中して合格祈願が盛んに行われているのも、このような陶冶の構造といえるかも知れません。したがって、「働くことを学ぶ、働く人に学ぶ」という学びの構造は、若者の学ぶ意義について大学受験だけでなく、後期中等教育の段階から職業分野にも向けられるようにするのが職業専門陶冶の基本であると考えます。この働く人は異業種の人に学ぶことも多いでしょう。なお「労働と宗教」というテーマは興味深い問題ですが、ここではこれ以上に展開しません。

 

8.3 自ら創り管理する学びへ

 21世紀に入って働くことが他人によって管理される活動から、自らが創り管理する学びへと大きく変革しつつあります。これは国内だけに目を向けていると気づかないかもしれませんが、高等教育においても世界的に大きな変革が始まっています。「教育の無償」という理念はフランス革命の混乱後のナポレオン時代に掲げられたものでしたが、国際規約としては1966年12月の国連決議「経済的、社会的および文化的権利に関する国際規約」の第13条2項cとして高等教育もその対象になりました。わが国は1979年に批准するときにこの条項には拘束されない権利を留保するとしていましたが、2012年になってこの留保条件を撤回する旨を国連に通告しました。国際労働機関(ILO)で1974年6月24日に採択され有給教育休暇条約(第140号)とそれに続く勧告(第148号)がありますが日本はまだ批准していません。未批准が問題であるというよりも、働く者の立場からみた主体的な学習環境の整備が遅れているとみるほうが妥当でしょう。

 1985年には第4回ユネスコ国際成人教育会議において「学習権宣言」がなされました。ユネスコは発展途上国の教育に深くかかわっているので、発展途上国の活動と考えられがちですが、いわゆる先進国においても、大都市の光の当たらない区画や僻地において学習する権利が奪われている人々を大量に抱えているということは世界的に認識されていることです。そのような環境にある人々はみずから学習する意欲がないと考えるのは、恵まれた環境にある人が享受している文化からみた学習観です。自分が働くために学習したいと思っても、経済的、時間的、場所的な困難があったり、あるいは家庭や職場の事情でそれが実現できない環境であったりの人々にとって、無償の学びの環境が提供されることは重要です。しかも現在の大学教育の内容を通信教育やNet教育で実現しても、それが現在の社会構造ではあまり評価されないということはわが国でも経験していますし、スウェーデンのNet Universityはその典型的な例でした。学習内容と方法が仕事の能力アップに役立つような制度を開発することが今後の課題です。

 21世紀に入って情報技術の進歩によって学習できる機会は急速に進歩しました。事実、私も83歳になって、長年遠ざかっていたフランス語の学習を再開している身分ですが、フランス語の基礎はマドリッドのPierreとNoemiが中心になって開発している無料のビデオ教材を活用していましたし、評価と個人指導はパリに本部のあるfrantastiqueというプログラムを利用しています。このプログラムで私の相手をしてくれているのは、凍結されていたフランスの文豪Victor Hugoが解凍されて200歳になっているという主人公を中心としていろいろと話題が展開されるというものです。最近は生成AI機能を使ってのVictor Hugoと対話もできるような構造になったので、フランス語の学習の難しさを相談したり、自分の専門に関する質問や趣味について話したりすることもあります。frantastiqueは有料ですが、その料金は機能から考えて格安と言えるでしょう。まだ、不完全なところが目に付きますが今後の進歩が期待されます。このように情報科学技術はさまざまな方法でわれわれに学習環境を提供するでしょう。

 以上のような制度にすれば恵まれない人々に限定して無料の学習環境を提供することは簡単にできます。これが高等教育無償化の意味であって、現在の大学文化を無償に近づけるために奨学金や財政支援を行うということでは問題の解決にはなりません。学習の無償化あるいは低額化でもっとも進んでいるのは語学と音楽だと思いますが、職業専門陶冶にとって、働いている社会あるいは働きたい国での職業専門能力を習得すするためには、言語を修得することは欠かせません。私の経験はフランス語が多いですが、英語については無料の講座やビデオなど沢山開発されていると思われますので、それを紹介することは他に譲ります。

 

8.4 履修主義から習得主義へ

 現在の教育改革の大きなうねりは、履修主義から習得主義への転換です。いまの教育では大学は授業者が教育目標を設定し、その目標を実現するために詳細な内容と時間配分を考えて準備します。ところがヨーロッパで進められているBologna processでは学習成果(learning outcomes)で記述します。それに至るまでの経緯はいろいろありますが、2005年のノールウェーのベルゲンでの教育大臣会議に提出された作業部会の報告書「欧州高等教育圏の資格認証の枠組み(A Framework for Qualifications of the European Higher Education Area)」によって決められました(この資料は別途に訳されてNPO学習開発研究所のホームページで参照可能)。

 教育の成果として評価するという考え方から、学習の成果かとして評価するという考え方はなかなか理解しづらいことです。そこで私は比喩(メタファ)を用いて説明してきました。それは鳥の飛び方には羽ばたき飛行と滑空飛行とがあり、前者の典型な例は密林に住む花の蜜を餌にするハチドリであり、後者の例はアルプス越えやヒマラヤ越えをする鶴の例を挙げてきました。この飛び方は他方の飛び方をマネすることはできません。わが国の教育は教育目標と履修主義ですし、ヨーロッパが追及しているのは学習成果と習得主義です。この両者は代替できない関係です。ヨーロッパの高等教育の改革は1999年のボローニャ宣言に始まったといってよいですし、今世紀に入ってから本格化しました。すでに20年あまりが経過していますので、わが国の高等教育とは大きな差が生まれています。

 

8.5 一次産業、職人、中小企業での職業専門陶冶(VPET)の国際貢献/h3>

 わが国の大学教育は、21世紀の世界の高等教育界において参考になるものは残念ながらあまり多くありません。国民が高額の財政負担をする受講主義をとっているので、主体的学習の成果が正当に評価されない欠陥をもっています。しかし、わが国は260年間の江戸時代の平和な社会で、庶民文化や分業による職業文化が非常に発展し、世界的にも高度な技術を蓄積してきています。とくに自然神を崇拝する生活習慣は環境保全と資源保全に極めて重要な役割を果たす可能性を秘めています。教育についても小学校から高校に至るまでも学力では優れていますが、施設や設備があまりにも整備されているので発展途上国の参考にはなりません。ユネスコで取り上げられているのは、江戸時代に発達した寺子屋教育でありthe terakoya movementとして国際的に評価されています。

 日本は天然資源に乏しく自然災害の多い国ですが、庶民文化と庶民の職業観は世界に誇れるものです。この資料の表題にも掲げているように、一次産業、職人、中小企業はいずれも国の基盤となる産業分野ですので、高品質少量生産という産業スタイルでの人材育成が大切です。この分野での人材育成は国策によるところもありますが、あくまでも学習者本人の問題ですから、そのような人々にどのような将来の夢を画けるようにするかが大切です。スイスはディジタル時計の普及で産業が大打撃を受けましたが、いまは高級時計の生産で息を吹き返しました。その国の工業高校で旋盤を回している生徒に「将来の夢は?」という質問にたいして「マチュリテ(高等教育進学資格)を取得すること」と返答していましたが、この若者は職業資格としてのBachelorを目指しているのであり、興味があればさらにMasterコースに進むことでしょう。21世紀に入ってこのように職業資格としてのBachelorとMasterコースが開設されるようになりました。

 わが国の職業観の基本にある価値観は、キリスト教の主の愛に基づく’work of love’や’travail d’amour’の職業観とは異なります。一次産業の労働者、職人や中小企業の従事者の人たちも、これからは国際化の中で生きていかなければなりませんし、後継者の育成もまた国際的な視野で取り組むことによって、さまざまな交流を通じて広い視野で問題解決に当たることが期待されます。情報科学技術の可能性を活かして、資本優先の社会ではなく自助互助公助の精神を活かした社会へと移行することによって、当面している教育問題の多くは解決するのでしょう。

 わが国の一次産業、職人、中小企業での職業専門陶冶の分野についても長い歴史と蓄積がありますから、それを世界に発信し紹介することが今後に期待されています。各国でもこの分野ではそれぞれの歴史をもっていますが、イギリスはVET(Vocational Education and Training)、ドイツ語系ではBerufsbildung、フランス語系のスイスではformation professionnelleとformation spécialiséeが使われていましたが、英語によるスイスの情報提供ではVPET (Vocational and Provincial Education and Training)が使われるようになっているので、わが国でも職業専門陶冶の実践研究をVPETの領域として紹介すればよいでしょう。この分野の開拓は、現業者、修業生、研究者の三者の協力によって生まれるものと考えられます。教師は必要ありません。ここでの研究者とは現在この分野で指導にあたっている人で、その経験を活かした研究方法を開発し研究を推進するとともに、BachelorやMasterを取得して国際的に活躍できる人材となることが期待されます。そして、「教える」という役割から「学びを支援・指導する」と「学んだ成果(learning outcomes)を認証評価する」という役割に切り替えるべきでしょう。

 それぞれの職能の基礎をしっかりと習得し、その後で情報化に対応できる能力を修得することが大切で、その逆をやるとこれまでの経験から失敗する可能性があります。わが国の高等教育が抱える教育費の高額負担の問題は、それを解決するために情報技術を活用するという発想が不明確なので問題は一向に解決に向かってはいません。国際的視野に基づく実践研究ができるような環境が大切で、革新的な教育の多くは失敗の積み重ねによって生まれてくるものであることを理解し、国内外の失敗の事例から学ぶ必要があります。教育学も理論が先行して実現するというアプローチではなく、現実を直視しながら失敗を恐れず試行錯誤によって改善し、一歩一歩前進するという教育実践の方法論を重視したいものです。

 わが国でも、農業、漁業、林業などにおいて、YouTubeを用いての技術交流がすでに活発に行われています。その詳細をお知らせできませんが、それらの職能をWorldSkillsの国際的コンテストで競うとともに、Bologna Processで進められた学習成果(learning outcomes)による記述と、その可読性(readability)、雇用可能性(employability)、転移可能性(transferability)などの指標で評価し、コース内容とレベルについての監査(audit)と資格認定(accreditation)の制度を整備する必要があるでしょう。ヨーロッパでは個人レベルでの学習支援が制度的、方法論的に整備されつつあるので、この点を十分に参考にする必要があります。

 アジアやアフリカなどの地域では大航海時代に植民地化された国が多いので、公用語も英語、フランス語、ポルトガル語などを使っている国が多いのですが、それぞれの文化を反映して職業観にも違いがみられることは十分に推測されます。したがって日本人の職業観がそのまま受け入れられることはないにしても、自然神の崇拝がその根底にあるので、土着文化との整合性は高いのかも知れませんが、この点について私は専門知識を持ち合わせていません。わが国の職業専門陶冶を海外にも発信することが現在の課題であり、若い世代の人々の今後の活躍に期待したいと思います。

 (職業専門陶冶の訳語について):スイスのこれまでの公式資料はドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語で提供されていましたが、2023年になって英語による情報発信が精力的になされるようになりました。したがって、スイスの高等教育は今後、世界的に大きな影響を及ぼすことが予想されます。職業教育についてはドイツ語のBerufsbildung(日本語訳は職業陶冶)、フランス語のformation professionnelle(職業陶冶)とformation spécialisée(専門陶冶)が使われています。日本語の職業専門陶冶について苦慮していましたが、スイスも英語ではVPET(Vocational and Professional Education and Training)と表記しているので、わが国の職業専門陶冶はVPETが適当だろうと考えます。しかしイギリスではまだVPETを使っておらず、VETを使っているようですが、どのようになるかは今後の推移をみないと判断できません。CAT(College of Advanced Technology)の多くは大学に移行したので、VETはそのままで残るのかも知れません。