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1. ヨーロッパが目指している高等教育

更新日: 2023/08/31

1. ヨーロッパが目指している高等教育

 

1.1 国によって異なる教育制度、内容、レベルと国際協力

 2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻について日々報道されている情報から、ヨーロッパ諸国の国情の複雑さ、それぞれの国の民族、言語、歴史、宗教などの多様性を実感します。ここでヨーロッパといっていますが、このような多様性のある国々を私が扱うことはできませんから、自分で訪問し見聞してきた国々、国際研究集会EDEN(European Distance and E-learning Network)(i) への参加、ユネスコ、OECDの会合での発表や対話など、直接に経験したことに限って高等教育改革の動きを紹介したいと思います。研究集会で話題になっていたことは、ヨーロッパの高等教育の改革に当たってはアメリカとヨーロッパとでは教育制度は全く異なりますから、独自のモデルを追究する必要があることが強調されていましたが、これから紹介することはわが国の実情とは異なるところも多いことに留意して下さい。

 私は1966年11月からフランス政府国費技術留学生としてパリ郊外の技術教育高等師範学校(Ecole Normale Supérieure de l`Enseignement Technique, 現在はカッション高等師範学校)に8か月滞在しておりました。研修は個人プログラムによるもので、もっぱら学校訪問、教育関係者との面談、国立教育研究所の図書館に通って技術教育の歴史と教育制度などについて調べることが主な日課でした。そのほかにユネスコ本部やOECD本部にも訪れて資料を収集していました。このような経緯もあって、英語とフランス語でコミュニケーションできるということで、その後もヨーロッパはしばしば訪れてきました。

 ヨーロッパの高等教育は歴史も古く、国によって大きく異なっているので理解しにくいところが多々あります。このような複雑多様な状況の中にあって、高等教育については欧州高等教育圏(EHEA:European Higher Education Area)が形成されています。その共同事業としてはボローニァ・プロセス(Bolognia Process)の実情があります。ロシアも参加していましたが2022年5月24日に脱退する旨を表明しましたので、ヨーロッパというときロシア圏の西側の地域といってよいでしょう。現在、47か国が参加しています。

 ヨーロッパでは中世にラテン語を介しての諸国遍歴で知識人や学生、修業者の間で活発に交流していた歴史があります。特に第二次大戦後はヨーロッパの安定のために、お互いの国情を理解し、各国の主体性を尊重しながら協力しあうことが重視されてきました。そのために1987年にスタートしたエラスムス計画(ERASMUS:The European Community Action Scheme for the Mobolity of University Students)があり、教員や学生の交流が活発におこなわれています。この経験を踏まえて、1988年にイタリアのボローニァ大学の創立900周年記念式典に参加していたヨーロッパ各地からの大学関係者の話し合いが契機となって、1999年にボローニァ宣言に結実し、Bologna process計画がスタートしました。この計画には賛否両論があり、伝統的な大学関係者からみれば失敗であるとの評価であり、非大学型高等教育機関の人から見れば大きな前進であると考えられています。

 多様な高等教育を英語表記のBachelor課程とMaster課程の二段階制度にしました。それまでは例えばフランス語圏ではDiplôme(ディプロム)、Licence(リソンス)やMaitrise(メトリーズ)などさまざまな表記が用いられていましたが、これらを英語に統一した表記方法も導入されました。また、授業の単位数もボローニァ・プロセスでの単位規準に基づく単位数と、それぞれの国の単位数とがあり、それを併記して国による違いの換算ができるようなシステムを採用しました。このような方法によって国家間での移動性(mobility)と雇用可能性(employability)が確保され、学習内容とそのレベルの表記様式である学習成果(learning outcomes)について異なる国でも理解できる可読性(readability)が重視されています。たとえば、語学の評価結果と到達度を個人別に知らせる学習プログラムGymglishがありますが、英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語でのレベルを表すA1、A2、B1、B2、C1、C2を用いれば、言語は違っても国が違っても同等の能力とみなされます。したがって、国が違い、教育内容が違っても職業能力の学習成果レベルが同じであれば、同等の能力とみなされます。しかし、生まれて日の浅い制度ですので、国によって解釈はまだ異なりますが、時間の経過とともに制度として成熟していくものと期待されます。


(i)EDEN EDENは1991年に創設されて、ヨーロッパの高等教育の改革時の制度や方法に大きな影響をあたえました。遠隔学習やe-学習についての試行的実践の報告が多数あり、年次総会も各国を巡るもので、いろいろな国の実践を見聞することができます。

 

1.2 高等教育の経済的な負担

 日本の大学とヨーロッパの高等教育とを比較したときに、授業料の個人負担の違いが目立ちます。日本の高等教育の改革にあたっては大学を中心としていますが、ヨーロッパの高等教育では職業教育も大学と同等と考えられるようになってきています。ヨーロッパといっても国ごとに教育事情は異なりますから、私が解読できる英語とフランス語を通じて、また北欧やその他の国を訪れたときは英語で見ていますので、その点をお断りしておきます。

2022年1月18日付のフランス公共放送France 2 でヨーロッパ主要国の高等教育の学費(年額)としてつぎのような数字を報じていました(ユーロ対円の換算率は放送当時のもの)。

  • ドイツ     75ユーロ( 12,075円)
  • フランス    260ユーロ( 35,620円)
  • スペイン    1,082ユーロ(140,000円)
  • イタリア    1,345ユーロ(184,265円)

次章で紹介するスイスの場合は

  • スイス     1,000ユーロ(137,000円)

わが国の国立大学の授業料は2023年で535,800円(3,572ユーロ)ですが、これはヨーロッパの高等教育の考え方がわが国の大学とはかなり違っているからです。

 特にフランスの教育制度はわが国とはかなり異なりますから、その歴史を簡単に知ることによって少しは理解できるでしょう。フランス革命(1789)の後で混乱するフランス社会を大改革したナポレオンは1793年に旧制大学の廃止を宣言し、国家を導くエリート育成と民衆のための職業教育を重視しました。この場合、職業教育の上級幹部すなわち職能エリート集団を育成するために理工科学校(Ecole Polytechnique, 1794)や高等師範学校(Ecole Normale Supérieure, 1794)など、現在、グロンゼコールと呼ばれているさまざまな分野での上級幹部を育成するための専門学校を設立しました。その後、大学は復活(1808)しましたが、それは学部、リセ(エリートのための中等教育)、コレージュ(庶民のための中等教育)、私立学校、寄宿学校(私立)、小学校という階層性をもった教育組織を統合するための行政組織でもありましたが、これもすぐに廃止されました。

 この時期にその後のフランス教育の特徴である「義務制、無償、非宗教性」が標榜されたといっても良いでしょう。職業教育の重視ということは様々な資格で民衆の生活力を確かなものにすることが重視されているのです。しかし、現実には民衆のための職業教育は「行き止まり」と呼ばれることもあって、その教育は軽視されてきました。ただ学問や教養教育を重視してきたわが国の大学教育とは異なって、まず何よりも生活の基盤としての能力の育成を重視している点は参考になります。そのためにさまざまな資格を設けてそれを取得するための教育がなされているといっても過言ではありません。フランスでBologna Processが大学に導入される際にも、大学を卒業しても何も職業資格をもってない若者が増えたことが問題になりましたが、新しく導入された英語表記のBachelorとMasterは、わが国の学士号や修士号に相当するものではなく、欧州高等教育圏で通用する学習成果(learning outcomes)で記述された職業資格で、課程認定には監査(audit)が必要であり外国からの監査員も参加してコースが認定されます。

 理工系で有名な理工科学校(Ecole Polytechnique)も大学ではなく、最も優れた理工系の高等教育機関で国防省の所轄です。7月14日のシャンゼリゼ通りで行われている革命記念軍事パレード(わが国ではパリ祭と呼んでいる)の先頭を軍服姿でサーベルを帯刀して行進するのもこの学校の学生です。このように公務員や産業界の幹部候補生の養成学校などのグロンゼコールは、国として統治するために最優秀の人材の育成を目指しており、卒業すれば上級幹部あるいは企業の経営者などになります。従って大学はもともと職業教育とは関係のない哲学、法学、文学、理学など知の探求者の集団が学部(faculté)を構成しており、その研究成果について広く庶民を啓蒙するという役割が重視されましたから、高等学校に相当するリセ時代にバッカロレアの資格を取得しておれば、何時でも何処の大学でも聴講することができるという組織です。この考え方はいまでは欧州高等教育圏にも適用されていて、この圏内のどこの国のどの大学で聴講しても単位として認められるヨーロッパ単位互換制度(ECTS : European Credit Transfer System)になっています。先に紹介した授業料はヨーロッパ高等教育圏に適用されているので、日本からヨーロッパの大学に留学しようとすると圏外になりますから、この数十倍の授業料が課されます。従って留学を考えている人は十分に注意する必要があります。

 フランスの大学は行政区画の意味でもあり、1大学区画に1大学を、1中学区画に1中学校を、1小学区画に1小学校を設置したことから始まっています。従って、パリにはパリ大学の1大学しかありません。そのパリ大学区画に第1大学(パンテオン・ソルボンヌ)から第13大学(ソルボンヌ・パリ・ノール)まであります。フランスの高等教育機関としては、グロンゼコール、大学、各種の研究所での人材育成、各種専門学校、宗教系の私立大学などが含まれますが、国内あるいは欧州高等教育圏に属する教育機関では先のような授業料か、あるいは仮採用で低額の給料を受給しながら学んでいます。すなわち18歳で成人になると家庭から自立して勉学できるような配慮がなされています。しかし大学所在地以外から都市部に移ってくるものには生活費が高いので家からの仕送りが必要なのが問題になっています。スウェーデンではこの生活費を奨学金で賄おうとしたのですが、その大部分が貸与でしたので卒業後に多額の負債を抱える結果になってしまいました。

 

1.3 高等教育への期待の違い

 これまでに紹介してきたように、ヨーロッパ大陸の高等教育制度は、ドイツやフランスのように大学を中心とするものではなく国家の公務員や政財界の上級幹部、あるいは専門分野の先導的なエリートを育成することを目的とした専門学校が中心となっている国も含まれますから、わが国の制度と直接に比較することは困難です。最近、しばしば世界の大学ランキングが話題になりますが、それは米英の大学教育を念頭にスコアが決められているので、米英が上位を占めているのは当然の結果です。20世紀は科学技術が急速に発展しその影響が大きかったですが、21世紀でもその考え方が継承されるかどうかは疑問で、新しい高等教育のあり方が模索されています。

 わが国は20世紀後半に工業技術そして最後の四半世紀に情報技術の進歩によって、大量の高等教育レベルの人財を産業界が必要とし、それに伴って大学の量的な拡大に邁進してきました。さらに21世紀は情報科学技術が急速に発展する様相をみせている場面で幕が上がりました。そのとき、20世紀に発展した工業技術がもたらしたさまざまな格差や負の側面を克服する教育計画が必要とされています。ヨーロッパでは今世紀の変わり目に高等教育の在り方についてさまざまな議論がなされ、ヨーロッパ独自の教育体制が追及されているといえます。

 フランスの大学制度やスウェーデンの奨学制度を紹介したのも、高等教育制度には一定の模範的な制度があるのではなく、国によって時代によって変化してきているという実態を理解してほしかったからです。21世紀初頭にヨーロッパの研究集会への参加や大学研究者、教育関係者との会話、施設の見学などの機会が多かったのですが、このような動向に対してヨーロッパの若い学びの当事者が新しい高等教育の改革に参加している状況に感銘を受けました。

 

1.4 教育成果と学習成果の違い

 わが国では、教育問題を教育する側の視点から見ることが多いので、施設・設備を整え、優秀な教授団や教員を迎えるなどの教育環境を整えれば、優れた教育成果が得られると考えられています。大学の評価についても、しばしば引用されるイギリスのタイムズ社のTHE世界大学ランキングの指標ですが、あくまでも研究と教育を重視する大学についてのもので、大学を評価するにあたって次の5つの指標が挙げられています。

  • 教育(Teaching)
  • 研究(Research)
  • 引用(Citations)
  • 国際性(International Outlook)
  • 産業貢献度(Industry Income)

となっています。引用とは研究成果を論文や著書にしてその研究成果が他の研究に引用されたかどうかで評価するものです。従って研究成果を国際語の英文で発表しておけば、引用回数も増加しますが、非英語国にとっては不利な評価基準になっています。わが国の高等専門学校などの非大学型高等学習機関を評価するならば、どのような学習組織が高いランキングに位置づくでしょうか。われわれが高等教育機関をみるとき、どのような視点から評価するかが重要です。THEの大学評価の視点は20世紀の指標であったといえる日もそれほど遠くではないでしょう

 学習者がどのような能力を修得したかをレベルとして評価することを重視し、多様な資格を設けて学習評価をする考え方があります。ヨーロッパ大陸の教育ではこの考え方が強く、例えばフランスでは中等教育を修了する時にバッカロレアを取得しておけば、どこの大学でも何歳になっても受講する資格が与えられます。教育成果はバッカロレア取得者数で評価されています。以前は大学修了時のlicence(リソンス、学士号相当)は職業資格ではありませんでしたが、最近ではBologna processが導入されてからは英語のBachelorやMasterも採用されています。この資格は先に紹介したグロンゼコールの理工科学校(Ecole Polytechnique)の教育課程でもBachelor課程とMaster課程で構成されていて取得することができます。この新しい職業資格の導入については大学人からは大変な抵抗にあいましたが、高等教育の普遍化にともなって大学でも職業能力を修得することが不可欠であると考えられるようになったので受け入れられています。

 わが国の教育の目標と先に紹介したBologna processで目指している教育の目標とを比較してみましょう。

日本の学校教育法の 第83条大学
第115条高等専門学校
Bologna processのなぜ教育か

大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする。
高等専門学校は、深く専門の学芸を教授し、職業に必要な能力を育成することを目的とする。

  • 雇用への準備
  • 民主的社会における活動的な市民としての生活の準備
  • 個人の成長
  • 幅広く先進的な知識の基盤の発展と維持

 

 高等教育の分類にあたっては、大学型高等教育と非大学型高等教育という視点があり、OECDが積極的に推進しました。高等教育はますます多様化しますから、教育する側からの評価だけでなく、学習者からの評価も大切で、若者といっても18歳以上の成人ですから授業料の経済的負担だけでなく、都市部での生活負担も課題になります。大学が都市部に集中している視点からみると日本の順位はどのようになるでしょうか。この場合、大学評価をしているTHE(Times Higher Education)の5つの指標とは違って、たとえばつぎのような指標が考えられます。

  • 教育 → 学習成果
  • 研究 → 実用化
  • 引用  → 模範例
  • 産業貢献度 → 地域貢献度
  • 授業料 → 学習費用