働くことを学ぶ - 修業学習と職業陶冶

menu

3. ウクレレ・プロジェクトは社会階層の溝を乗り越えるか

更新日: 2023/08/31

3. ウクレレ・プロジェクトは社会階層の溝を乗り越えるか

 

3.1. ヨーロッパ社会に残る社会的文化的階層の溝

 パリでの研修期間中にソルボンヌにあるエリート校のルイ大帝リセ(Lycée Louis-le-Grand:上流階級の中等教育学校)や、下町のコレージュ(College:労働者階級の中等教育学校)の校長先生に話を伺ったり、授業を参観したりする機会がありました。このリセはもっとも歴史あるエリート校の1つで、校長室は天井が高く入口のドアも大きくて格式の高い部屋での面談でした。面談の内容の詳細は覚えていませんが、私が技術教育高等師範学校に留学しているということで、行政面からみたリセの役割の説明を受けました。

 一方、下町のコレージュを訪れたときは校長室の入り口のわきに「学校に凶器を持ち込んではならない」という貼り紙がしてあったのが印象的でした。また音楽の時間の授業を参観したときには輪唱を指導していたのですが、生徒は全く注意散漫で輪唱にならないので、教師は幾度も注意していて最後には大声をだして叱っていました。授業の後でその教師は「恥ずかしいところをお見せしました」と恐縮していました。

 わが国では外国から見学者がくるとなると一番優れたものを紹介しようとしますが、フランスではむしろどのような困難があり、それにどのように取り組んでいるかを示そうとします。ある民族の移民の多い地域の技術リセを訪れたときも、校長先生はその学校に派遣された理由は成績の平均点を向上させることが責務だということで、実習科目の部屋を見学して指導のことについてながながと話し込みましたが、大阪の成城工業高校での指導経験のあった私にとっては懐かしい思い出です。

 1967年の7月に帰国しましたが、その翌年の5月にいわゆる5月革命がおこり、大学生が政府の教育政策への不満を爆発させ、パリ中央の学生街のカルチエ・ラタンを学生が占拠して解放区が形成されました。労働者や市民からの支持もあったのですが、ドゴール政権によって最終的には共和国保安隊が出動して武力で鎮圧しました。その発端となったパリ大学ナンテール校は研修期間中に訪れたことがありましたが、大学内外の教育環境の劣悪さを見ていましたので、学生の反発が理解できました。

 1966年12月の国連決議では「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(A規約)」となっています。経済的格差については家庭の収入など数量で表現できるので、格差の指標としてしはしば利用されますが、社会的文化的格差についてはなかなか表現が難しいです。この時期より早い1964年にフランスではピエール・ブルデューとジャン=クロード・パスロンによって「遺産相続者たち-学生と文化」が出版され、学生の家庭の文化環境がその後の教育成果に大きく影響していることを明らかにしていました。この本はわが国でも33年後の1997年に翻訳・出版されました。私は1967年に帰国してその翌年に「フランスにおける教育改革が技術教育に及ぼした影響」という論文を投稿しましたが、その後はフランスの教育のことについては書かなくなりました。それは文章で書かれている教育とその実態とには大きな乖離があり、実態はうまく伝えられないという強い思いがあったからです。

 1970‐80年代のヨーロッパは中等教育の改革期であり、その教育改革がしばしば紹介されていました。イギリスもかなりの回数訪れた経験からも、それをわが国の教育事情から推測することは極めて困難であると考えます。社会階層の問題は映画でもしばしば取り上げられ、たとえばオードリー・ヘップバーンが「マイ・フェア・レディ」(1956)で演じたロンドンの下町訛りの強い花売りエリザ・ドゥリトルが、言語学者のヒギンス教授の特訓によって令嬢として社交界にデビューすることはイギリス社会にとってのシンデレラ物語です。また、映画「リトル・ダンサー」(2000)では北英の炭鉱労働者の町で、ボクシングジムに通っていた少年ビリー・エリオットが、ふとしたキッカケでウイルキンソン夫人にダンスの才能を見出され、やがてロンドンのバレー学校に入学が認められダンサーとしてキャリアを積んでいくという物語も、イギリスでの社会階層を乗り越えていくという夢物語でしょう。いずれも偶然の幸せな機会を得ての階層を乗り越える物語です。

 イギリスの中等教育では、社会階層を反映した上流階級の子弟が通うグラマー・スクールと労働者階級の子弟が通うモダン・スクールやテクニカル・スクールなどの複線型でした。その中間に総合スクール(Comprehensive School)を設けて問題の解決を図ろうとしていて、わが国の教育界では理想的な学校であるかのように紹介されました。幸い実際に総合スクールを訪れ、校長先生に案内して頂く機会がありました。グラマー・スクールとテクニカル・スクールとが道路を隔てて隣接していて、その道路の下にトンネルを掘って連結していました。グラマー・スクールの方は建物も立派で、その学校を卒業した有名人の銘板が入り口に貼ってあり、もう一方のテクニカル・スクールでは旋盤などの機械が並んだ実習場で、油にまみれた生徒が機械を操作していました。

 2校を隔てた道路の下のトンネルを介して両校の生徒が交流することが狙いだったのですが、実態はどうかを校長先生に伺ってみたところ、まだあまりないとのことでした。その後、このトンネルがテクニカル・スクールの優秀な生徒にとってグラマー・スクールの授業に参加できる通路になったのか、あるいはグラマー・スクールの生徒がサッカーボールか庶民楽器のウクレレをもってテクニカル・スクールを訪れて、一緒に楽しむことのできる通路になったのかは確かめていません。この地下通路がどのように利用されているかによって、イギリスの教育動向が理解できるでしょう。

 ヨーロッパは労働者階級の子弟がその階級を越えて上昇気流に乗るということが極めて難しい社会です。上流階級に身を置く大学の研究者や学校の教師が、教えることを出発点として考えるとき、その教えようとする内容も方法も自分たちが属している文化に基づいて考えます。したがって学校や大学で教えられる内容そのものがすでに労働者階級のもつ文化とはなじまないです。このような社会や文化の枠を乗り越えようとしているのが次に紹介する全英ウクレレ・オーケストラの活動です。

3.2. 王室アルバート・ホールでの全英ウクレレ・オーケストラと第九の合奏

 いろいろな国でのウクレレ・プロジェクトを調べていたら、全英ウクレレ・オーケストラ(Ukulele Orchestra of Great Britain Bethoven)の活動が目に留まりました。映画のマイ・フェア・レディのエリザも、リトル・ダンサーのビリーも、いずれも貧しい家庭の出身で、古典的な文化や風習とは全く無縁の世界で育った若者であり、指導訓練によって富裕層の社交界や文化の世界に飛躍するという物語です。ところが1985年に結成された全英ウクレレ・オーケストラは8人の紳士淑女が、ステージの上で男性はタキシードに蝶ネクタイ、女性も正装をしてウクレレを演奏しています。さらに収容数が5,272席といわれる王室アルバート・ホールで演奏し、その最後にウクレレを持ち寄った聴衆と一緒にベートーベンの第九の合唱の最初のメロディーを演奏するという催しです(TouYubeでUkulele Orchestra of Great Britain Bethoven で視聴可)。これは上流社会の文化と庶民の文化とが一堂に会して交流した瞬間でした。

 スポーツにおいてもラクビーは英国紳士のスポーツであり、サッカーは労働者階級のスポーツであるという既成概念がありました。しかもサッカーの試合後にはファンのフーリガン集団が暴動を起こしたり放火したりしていました。それに対して日本のサッカーファンは試合後に自分たちの席のまわりのゴミを持ち帰り、さらに2022年のカタール大会では日本の最終戦の後で森安監督がファンの前に歩み寄り胸に手をあて最敬礼で敬意と感謝を正式の礼法で表しました。このことはヨーロッパのスポーツ界にとっては大きな衝撃であり、スポーツ新聞で大きく報じられました。

 ウクレレは、近年、世界的規模で普及している楽器で、全英ウクレレ・オーケストラは2023年前半だけでも、ドイツ、アメリカなどでのツアーを組んでいます。このような活動はヨーロッパ社会にとって極めて画期的です。従来では王室文化あるいは王侯貴族の室内や演奏会場で催されていた演目を市民ホールや野外で伝統的楽器で演奏することによって、庶民に歩み寄る活動がなされていますが、それとは対照的にウクレレ・プジェクトでは庶民楽器で上流階級の人々が楽しんできた王室のホールでベートーヴェンの曲を演奏していることです。

 これは従来の大学教育をネットに乗せたスウェーデンのNet Universityが2002年に開設されされたものの、その内容が庶民の生活ニーズに応えるものでなかったために2009年に中断せざるをえなかったこととも符合していて、旧来の大学文化に庶民を誘導しようとしてもうまくいかないことを示唆しています。職業教育の高等教育化については、現在の大学文化とは異なる職業文化を探求する必要があるでしょう。

3.3. 太平洋諸島のウクレレ文化と平和

 現在のウクレレが世界的に普及したのには、ハワイの日系5世のJake Shimabukuroの貢献があったことを忘れることはできません。彼は幼少の頃からウクレレを玩具替わりにして育った経歴の持主です。母親が音楽家であったことも幸いして正しい技術を体得し驚くほどの超高速演奏を実現し、ハワイ音楽だけでなく、ジャズ、ロック、ブルース、アニメ映画音楽、クラッシク音楽の編曲の曲など幅広いレパートリーをもっています。わが国の音楽教育の重要な部分となっている西洋音楽は、一般民衆にとって鑑賞することが中心になっていますが、ウクレレ・プロジェクトでは4弦のみの小さな楽器によって誰でもが演奏に参加し楽しめる領域を開拓したことです。そして彼のアルバムである「Peace, Love, Ukulele」に、彼のメッセージが託されていると考えられます。代表的演奏は(YouTube Jake Shimabukuro - "Bohemian Rhapsody" - TED (2010) – ukelele)で聴くことができます。

 ウクレレは太平洋南西諸島で古くから普及していた楽器ですが、タヒチ島にもその文化が受け継がれています。フランス領ポリネシア・タヒチ島のパペーテで2015年に開催されたタヒチ・ウクレレ・フェスティバル(Ukulele festival Tahiti 2015)では、周辺の島々や海外から集まった4,750人が同時にウクレレを演奏し、ギネス世界記録に挑戦しました。このギネス記録が問題ではなく、老若男女が自作も含めてそれぞれのウクレレを持ち寄って演奏したということが注目されます。演奏者の多様性を全て包み込んだ演奏であったことが印象的です。そしてタヒチ島で後期印象派の絵画を究めたポール・ゴーギャンの言葉
  我々はどこから来たのか
  我々は何者か
  我々はどこへ行くのか
の意味するところを考えるのも、他国への武力侵攻で混沌としている世界への問いとして胸に響きます。イギリスのUkulele Orchestra of Great Britainの演奏とタヒチのフェスティバルの情景は文化の違いをよく表しています。

3.4. 台湾・中国の華麗なウクレレ演奏

 台湾と中国との間では政治的軍事的緊張が醸し出されていますが、海峡をまたいで双方でウクレレの美しい音色が響いています。「台湾ウクレレ・フェスティバル」で検索すると毎年開かれているフェスティバルの様子が伺えますし、日本からの参加も多いようです。とくにコロナ禍のもとではオンライン参加が紹介されています。中国においてもウクレレ・フェスティバルが開かれており、上海ウクレレ・フェスティバルが開催されていて2021年で第6回を数えています。また2018年には全英ウクレレ・オーケストラを招いています。

3.5. 日本のウクレレ・プロジェクト

 わが国でのウクレレの歴史は古くハワイアンの音楽とともに普及していきました。大正期にハワイ生まれの歌手の灰田勝彦の名前と共にハワイアン音楽の伴奏楽器として馴染みになっています。私の青春時代に映像で見た加山雄三のウクレレを想い出します。それは歌の伴奏としてのウクレレです。そして86歳の誕生日を過ぎて知人に紹介されて知ったのは、鈴木智貴やJake Shimabukuroの演奏と活動、そしてこれまでに紹介してきた海外での普及ぶりです。私が注目したのはウクレレが単に楽器として楽しませてくれる音楽にとどまらず、東北地方太平洋沖地震後の福島で被災者を元気づけるために始まった一般社団法人ウクレレサポート協会の活動です。東日本大震災で被害を受けた東北の皆さんを応援するために、出来ることは微力ながらにも、「がんばっぺし」と思って始まったボランティア活動です。「三陸復興応援プロジェクト」を中心に、ウクレレを通じた社会貢献活動を行っています。さらに音楽療法、高齢者施設音楽療法などとしてウクレレが利用されていることです。ウクレレにかかわる活動がきわめて広範に活発に行われているので、私にとって印象的な事例を章末に掲載しておきます。

 わが国では、林業労働者の木挽き歌や漁業労働者の大漁節などの労働歌は、大規模なオーケストラで演奏されたり華やかなステージで歌われたりすることはありますが、肝心の労働者によって働く場で演奏されたり歌われたりすることはほとんどなくなっています。そのような文化を取り戻すことはできないのでしょうか?

3.6. YouTubeでのウクレレ演奏技術の開発と職業専門陶冶の親和性

 教育は自分たちの価値観を実現するためにしばしば排他的になることがあります。入試で排除し、宗教で排除することもあります。国単位の政策が優先されて個人の学習権が奪われることもあります。しかし、国境を越えての学習環境の提供と学習成果(learning outcomes)の認証、取得資格の雇用可能性(employability)、可読性(readability)さらに転移可能性(transferability)などを基盤とする制度に移行しつつあることは喜ばしいことです。現在、ウクレレで進展しつつある技術と芸術性の伝承は、対面の伝承ではなくYouTubeなどのメディアを介しての伝承であり学習であるということが特徴です。いわばウクレレは情報通信技術の発達とともに普及してきた音楽なのです。

 わが国でも、すでに林業、農業、漁業などでYouTubeを活用した技術を紹介する学習材が数多く開発されています。それらが整備されて系統的な学習課程となり、国際的に認証される方向に進めることができれば、国内だけでなく海外で活躍するときにも十分に役に立つでしょう。わが国では技能オリンピックと呼んできましたが、現在はWorldSkillsと呼ばれていますが、85か国が参加しており日本もそのメンバーです。このような組織に積極的に参加するためには国際語(英語)の習得は不可欠ですし、これからの職業専門陶冶では基礎語学力として英語と、関心のある国の言語を使用してコミュニケーションを図ることが望まれます。そのためにもスポーツあるいは音楽などの国際的なコミュニケーション力を活用しながら、語学の習得を支援する学習方法と学習環境の開発が必要でしょう。わが国ではイギリスのように宮廷文化からアプローチしようとしているウクレレ文化とは異なって、労働歌や祭りのお囃子などが豊富ですから、一次産業、職人、中小企業の働く人々によって楽しまれる文化となれば世界的にも特色のあるウクレレ文化が生まれると期待されます。

 典型的なウクレレ演奏:ハワイアン、歌謡曲、童謡、アニメ映画、ジャズ、ロック、クラシックなど数多くありますので、「YouTube Ukulele xxxxx」のxxxxところに聴きたいジャンルを指定して検索してみるとたくさんの演奏が見つかります。


 特徴のあるものや珍しいものを紹介します。

  • Jake Shimabukuro のBohemian Rhapsody on the Ukulele   Hallelujah at DFS WAIKIKI 2010-08-04
  • クラシックギターのFracisco Tarregaの名曲 台湾の高珮文演奏の「アルファンブラの想い出」
  • RgbmovグループのUkulele Mozart ~K.183~
  • (奏者不詳)  筝曲 宮城道雄の「春の海」
  • 近藤利樹(10歳の時)のコーヒールンバ