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5. 職業専門陶冶の国際化は地方から

更新日: 2023/09/15

5. 職業専門陶冶の国際化は地方から

 

5.1. 職人文化が残る地方産業の国際性

 わが国にとって基盤産業である農業、漁業、林業の従事者や多種多様な職人、また産業の基盤組織である中小企業の技術者などの育成は極めて重要です。しかし、このような職種の人材育成を従来の学校教育や大学教育をモデルとする教育組織では、財政的にも制度的にも教育内容の視点からも無理があります。

 ところで、21世紀になってヨーロッパでは高等教育にさまざまな新しい試みがなされてきています。ヨーロッパ大陸の国々はこれまで高等教育は国立あるいは州立などの公立の専門学校が中心で、無償あるいは職種によっては有給で実現していました。それは有能な人材を国家の上級幹部として、あるいは産業界の経営者、研究職として採用するためのエリート教育が中心でしたが、その人数は限られています。しかし、21世紀は職業の高度化にともなって、すべての人を対象とした高等教育の普遍化を目指すことになり、エリート教育モデルでは対応することができません。また、日本の大学は優秀な人を選ぶために入学試験を実施し、限られた人々を対象としたエリート教育からスタートしております。確かにわが国の近代化の過程で大学教育は有能な官僚や政界での中心的人物、理学、医学、工学などの研究分野で多くの優秀な人財を輩出してきました。しかしそれは20世紀までの高等教育でした。21世紀に入ってからの高等教育の普遍化は、従来の教育の在り方とはまったく違った発想が求められているのです。

 第一に考えるべきことは、国際化が急速に進展し、国境や言語の壁が低くなり、世代間の交流が活発になっていることです。とくにヨーロッパでは若者を対象としたエラスムス計画で学生の国際的な交流が活発化し、それを基盤に欧州高等教育圏(EHEA)の形成やBologna processでの欧州単位互換制度(ECTS)が実現したことが重要です。さらに生活、労働、余暇などでの情報網の発達や交通手段の多様化にともなって、若者だけに限らず老若男女が国際化に対応してきました。もちろんこのことで労働移動が激しくなり、わが国の地方や東欧での過疎化を促進したことは事実です。しかし今ではヨーロッパ全域で英語が国際語として通ずるようになりました。私が初めてフランスに滞在した1966年当時と比較すると雲泥の差です。

 では地域文化を国際的文化として海外との交流を活発化するにはどのようにすればよいのでしょうか。宮廷音楽として洗練されたクラッシック音楽や貴族のスポーツとして発達したテニスなどはここでは対象外とします。そこで国際的に通用するのは庶民のスポーツと音楽を考えますが、その手始めに庶民楽器のウクレレと国際語である英語の学習を取り上げました。スポーツとしてはサッカーが挙げられますが、場所が必要で健康な人であるという条件が付きますので、ウクレレをコミュニケーションの象徴的用具として取り上げます。インターネットで「Ukulele project XXXX」として、XXXXのところに国名や主要都市名を入力してみて下さい。多くの場所での活動状況を知ることができます。このようなネットワークを通じて、いろいろな国の職業集団にアクセスする可能性を探ってみたいと思いますが、私にはその時間がありません。若い人に希望を託します。

 一次産業の技術は土壌や天候や海象や森林に学びながら、伝統的に世襲あるいは村落規模で伝承されてきた技術であり、先輩から後輩へと引き継がれる技術です。林業のように数十年先あるいは百年以上も先の未来を見つめながら経験を積み重ねる職人技もあります。荒れ狂う波の中で操船技術を駆使し、潮流などの海象の状況を読みながらの漁もあります。あるいは土壌の特性や日照や気象の状況を判断しての植え付けと刈り取りの判断があります。そのような個人の知覚と経験に基づいて受け継がれてきた職人技がわが国には数多く蓄積されています。こうした職人技の継承は、文化財や生活用具の制作のための文化的技能として地方の城下町、奈良や京都のような歴史的な地域で継承されています。これらの技術は科学的な測定で判断されるものではなく、知覚と経験によって判断される技術であり、科学的方法はその後から補足されるものです。このような技術を科学技術に対して経験的技術あるいは経験技術と呼んでおきましょう。このような技術では個人の知覚、解釈、判断、行為が大切です。

 経験技術を伝達するための用具としてYouTubeが極めて効果的に機能しています。語学、音楽、介護、スポーツなどの技は個人に蓄積されるので、それを伝えるためには見習うことが基本であり、そのときに直接対面の指導でなくともYouTubeがその役割を代行してくれます。私自身のフランス語の習得は、国内はもちろんですが、マドリッド、ロンドンに蓄積されているYouTubeのVideoを活用しています。そしてフランス語の学習診断はパリにあるシステムを活用しています。これからの学習は都市に出かける必要はなく、語学を修得しておれば高齢者住宅に居ながらにして世界中に蓄積されているVideoを活用することができます。

 

5.2. 職業専門陶冶を地方から発信する

 20世紀は科学技術の成果が爆発した世紀でした。わが国も第二次世界大戦前には、輸入した鉄鉱石を加工する製鉄業を奨励して船舶、航空機、鉄道、兵器などを製造する科学技術で列強と競い合いました。戦後は荒廃した国土を復興するために自動車や電化製品、さらには合成繊維やプラスティックなどの化学製品を大量に生産し、日常生活に広く普及して便利になりました。しかし今世紀になってその科学技術がもたらした過剰生産と廃棄物による環境問題に苦しめられる事態になっています。情報科学技術もまた、便利な日用具として普及していますが、他方では大量虐殺と遠隔殺戮を可能にするAI技術としても進歩していますし、情報産業廃棄物がアフリカに集積されて環境破壊と生活破壊をもたらしている状況が放映されていました。科学技術はそうした副作用を常に残しながら進歩していくのでしょうか。欲望の資本主義の上に乗っかった科学技術知にあまりにも依存した20世紀の技術の宿命なのでしょう。

 21世紀に取り組まなくてならないのは、少量生産・耐久消費の品物の生産であり、国連の持続可能な開発目標(SDGs, Sustainable Development Goals)です。これからは手作りで丹精込めて制作されたもので価格は少し高額になっても、その品質の良さを評価して永く使い続ける人にアピールする品物であり、そのような製品を生産できる人が望まれます。少量生産であっても個人のニーズにあった商品を生産する産業構造に移行するとしても、現在はその過渡期ですから経済的に困難な時期です。そのためにも市場を国内だけでなく世界に広げることによっての解決が求められます。今は世界的規模で観光を楽しむ時代ですし、宣伝も地球的規模で広がる時代で、日本特産の品々が海外に輸出あるいは技術移転が行わる時代です。また、日本の木造建築は世界的にももっとも優れた技術を擁していて、それが世界中から注目されるようになっています。したがってこれからの職業人は国際語としての英語(日本)と、対象とする現地の言語あるいは英語(現地)を修得することは欠かせません。

 イギリス語とかアメリカ語は国際社会では方言です。国際的な集会では方言で理解しにくい用語や国特有のジョークは使わないようにと注意されることもあります。国際語としての英語は英語(シンガポール)、英語(インド)、英語(フィリピン)と表記されているものです。私の英語は東南アジアでインド人とイギリス人と一緒にフィリピン、マレーシャ、スリランカ、韓国、タイでユネスコの仕事をしたときに習得したものです。したがってどの国の英語なのか分かりませんが、私の国際語は英語(日本)となるのでしょう。国連水会議に先立って行われた「第6回国連水と災害に関する特別会合」(2023.3.24)で、令和天皇が基調講演に寄せられたビデオは、日本人にとっての英語(日本)として示唆的です。発音が明瞭ではっきりとした論理が展開されていたので、参加者のすべての人に理解されたことでしょう。

 本題に戻ります。技能の育成は職業教育において重要ですが、わが国では高等教育といえば大学教育が連想されます。職業の高度化と急速な変化、高等教育の普遍化にともなって、あらゆる人が高等教育レベルの職能を修得することが求められています。ところが、技能を求める職種は数多くありながら、その習得について20世紀の大学教育では十分に対応してきませんでした。それは大学では一般に「知性、批判力、創造力、認識」が重視される授業科目が多いのに対して、職業専門陶冶は伝統的な技能、地域性のある技能、工芸品などで少量多品種の製作に求められ技能も含みますから、そのような職業では「感性、知覚、解釈力、創造力、判断力、実行力」が重要です。したがって高等教育の普遍化とは大学教育とは異なる高等教育レベルの人財育成を推進することが求められています。

 一般に個人事業、小規模企業などで継承されている技能は、個人的なものであり、先輩から後輩へ、同輩同士の学び合いと切磋琢磨などの伝承で行われている能力であり、人の繋がりによって実践してきた人財育成の制度です。このような人財育成は時間や季節にも制約される技能ですが、わが国は手仕事による様々な建築物、工芸品、地方物産などが豊富です。これらの仕事は基本的なところは手作業によって行われていることが特徴で、その仕事が高度な精密機械によって、あるいは情報化が進んで自動化ができたとしても、最終的には職人による判断、操作が必要になってくるような職種です。その典型的なものは漁業、林業、農業などの一次産業、寺社仏閣などの補修や復興、伝統的な芸能の衣装や小道具の製作・修理など、中小企業での職人作業です。とくに京都には数十年あるいは数百年の未来を見つめながら進められている職種が数多くあります。

 たとえば寺社の建物であればそれを解体修理する過程で数百年前の資材と技術を確認することができるので、その延長線上での未来の予測ができるのです。なぜそのような遠くの未来を見通した仕事が可能なのでしょうか。例えば奈良の薬師寺の東塔は1300年の歴史をもち創建当時のものと言われていますが、2009年から2021年までの12年をかけて110年振りの全面解体修理が行われました。それによって今後1000年先の状態を想像しながら修理を進めることができます。このような視点は日光東照宮の漆塗師は400年先を見ながら仕事をしますし、能装束の織師は150―200年先を見て仕事をするとも言われています。

 技能を中心とした職種での職能を修得していく過程をVideoに収録して国際語のナレーションをつけて発信すれば、ヨーロッパでのBachelorやMasterの資格として認められる道を拓く可能性は十分にあります。ヨーロッパでもこのような職人の育成に苦慮していますから。

 

5.3. ‘旨味(umami)’を発見した池田菊苗(きくなえ)

 日本食が海外でも人気を呼んでいます。sake、sushi、sashimiなどは英語として通用しますし、最近ではshoyuも樽づくりのものが輸出されるようになっています。これらの背景にあるのは日本特有の旨味感覚でしょう。従来、味覚は甘味、塩味、苦味、酸味の4種類であったものが、京都生れで東京帝国大学理科大学化学科を卒業した池田菊苗が昆布だしの湯豆腐を食べたときに「旨い!」と思わず声に出したのが第5の味覚のumamiであるとされています。これはグルタミン酸で、その後、工業化されて「味の素」になりましたが、旨味にはさらにイノシン酸、グアニル酸などが加わりました。日本食の基盤になっているのはこの旨味成分でしょう。

 個人の味覚に合う食材や料理、地域の食材に合う料理などは、個人の料理人や食通によって開拓されてきたものですので、これを工業化して大量生産すればその値段は低くなりますが、食品の価値も低くなります。最近は冷凍技術も進歩して、美味しい冷凍食品も増えてはいますが、それを解凍して美しく盛り付けたがけでは人気の料理店にはならないでしょう。

 

5.4. 技能の国際化

 ワールド・スキルズ(WorldSkills)の組織が主催する国際コンテストは、以前は技能オリンピックと呼ばれていて日本も参加してコンテストの上位を占めていましたが、最近では先進国だけでなく開発途上国も上位を占めるようになっています。入賞者も今ではスイス、日本、ドイツなどの技能先進国だけでなく、さまざまな国からの参加者の受賞が増えています。スイスはこのような技能分野からBachelorやMasterへの道に進むことを制度的には可能にしていますが、ヨーロッパでのBachelorやMasterの称号は職業資格であってわが国の学士号や修士号とは異なります。将来的には技能資格も大学の学位と同等のレベルの資格として認められるようになるでしょう。そのためには技能資格の学習コースの監査(audit)と資格認証(accreditation)の制度について調べる必要があります。語学関係の資格認定の制度が発達しているのでGymglish(英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語)のコースで体験してみるのもよいでしょう。

 2023年現在でワールド・スキルズは63職種が挙げられているのですが、わが国の場合は令和4(2022)年版 厚生労働省編職業分類表があり、大分類15種、中分類99種、小分類420種と詳細に分類し規定されています。今後、世界的に労働移動が激しくなりますから、世界的な職種能力での対応も求められるようになることが予想されますし、国際語としての英語で用意する必要があります。とくに技能労働者の受け入れも話題になっていますから、国際的な基準との整合性が必要になってきます。

 WorldSkillsのプロジェクトはまだ始まったばかりですから、近年急速に進歩している情報通信技術の適用によって、日本からは職業専門陶冶(VPET)の考え方を一次産業、職人技、中小企業での技術の伝承に適用すれば、世界の職業技術の伝承に大きく貢献することができると予想されます。その結果がでるのは10年あるいは20年先になるかも知れませんが、そのような長期の見通しのもとで取り組むことが大切です。Bologna Processは1999年に宣言されましたが、議論は2010年前後まで続いていました。そして「2. スイスが実現している高等教育」でも紹介したように職業専門陶冶(VPET)の考え方を適用し始めたのが2005年頃からで、統計に明確に表れたのは2015年頃です。今世紀初頭から2015年頃までかけて低額(1,000ユーロ)の授業料の高等教育制度を確立したとみてよいでしょうが、今後さらに低額になるかも知れません。そして英語表記のVPETをつかって情報発信をはじめたのが2023年からです。わが国でもリスキリングとかの舌を噛むような用語でなく、職業専門陶冶(VPET)の概念をしっかりと理解して学習環境を整備していけば、さまざまな職種で低額の経費負担で新しい職能を習得できるようになり、職種に変動があっても柔軟に職場を移動し、変動に対応することができます。

 知識からアプローチする科学技術だけでなく、感性や知覚から訓練によってアプローチする経験技術も、高等教育レベルの能力として開発する必要があります。すでに芸術やスポーツではそのような分野は開拓されてきていますが、すべての人は生きていくために働くのですから、職業教育を高等教育レベルと認知し発展させる必要があります。わが国での職業を入り口とする専門教育はまだまだその幅が狭く、万人のための高等教育の普遍化にはなっていません。企業が採用人事において学歴ではなく、学習成果(learning outcomes)すなわち修得した職業能力で採用するようになれば状況は一変するでしょう。日本の企業も一日も早くそうした採用人事において国際的な慣習に転換してほしいものです。そうなれば、若者の東京一極集中ではなく、国際的な職業人として地元の産業課題に取り組むことができるようになるでしょう。